【顔画像】山梨信用金庫19歳女性誘拐殺人事件の全貌、被害者や犯人の正体、生い立ち、現在は?(内田友紀、宮川豊、世界の何だコレ!?ミステリー)

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2023年9月27日(水)19:00~21:54に

【世界の何だコレ!?ミステリー3時間SP】

が放送されます。

その中で[身代金4500万円!だが現れない犯人…一体何者か?糸口は“脅迫電話”に]という某誘拐殺人事件をテーマにしたものが放送されます。

内容は以下です。

1993年、山梨県の信用金庫に勤める19歳の女性職員が誘拐された。4500万円の身代金を準備するが、指定された場所に犯人は現れない…犯人は一体何者なのか?なぜ、身代金の受け渡しに現れないのか…犯人特定の糸口は“脅迫電話”にあった!?その音声解析を担当したのは、当番組でもおなじみの日本音響研究所・鈴木創所長だった!

そこで今回は被害者の方や犯人の生い立ちについてお伝えしていきたいと思います。

本記事では『【顔画像】山梨信用金庫19歳女性誘拐殺人事件の全貌、被害者や犯人の正体、生い立ち、現在は?(内田友紀、宮川豊、世界の何だコレ!?ミステリー)』と題して

①被害者や犯人の正体
②山梨信用金庫19歳女性誘拐殺人事件の全貌
③犯人の生い立ち

についてお伝えしたいと思います。

では一緒に見ていきましょう。

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被害者や犯人の正体

山梨信用金庫19歳女性誘拐殺人事件の被害者と犯人の名前と顔写真はこちらです。

【被害者】
内田友紀(当時19歳)

被害者の内田友紀さん/甲府信金OL誘拐殺害事件【犯人】
宮川豊(当時38歳)

宮川豊/甲府信金OL誘拐殺人事件

被害者である内田友紀さんは当時19歳で、高校を卒業したばかりでした。

卒業後は山梨県甲府市の甲府信用金庫の大里支店に勤務していました。

犯人の宮川豊氏は『山梨いすゞ自動車』に勤める大型トラックの営業マンでした。

果たして、職業的には直接的に関係のない二人がなぜ今回の事件に発展してしまったのでしょうか。

その事件の全貌と経緯についてみていきましょう。

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山梨信用金庫19歳女性誘拐殺人事件の全貌

ここから山梨信用金庫19歳女性誘拐殺人事件の全貌についてみていきたいと思います。

全てはここから始まった1本の取材電話

1993年8月10日午後2時50分ごろ、甲府市の甲府信用金庫の広報担当者は、地元雑誌「ザ・やまなし」の記者と名乗る男性から取材の依頼の電話を受けました。

その取材は、活躍する女性を写真つきで紹介する「輝いて」という記事に関するものでした。

そして、この取材の対象として指名されたのが、当時19歳だった内田友紀さんでした。友紀さんは大里支店で新人OLとして働いており、この春に高校を卒業したばかりでした。

友紀さんは広報からの指示に従い、午後5時30分ごろに上司に挨拶して「取材に行ってきます」と伝え、職場を出ました。外では記者が手配したタクシーが待っており、友紀さんはそれに乗り、職場から3km離れた「小瀬スポーツ公園」に向かいました。そして、午後6時ごろに指定された体育館に到着しました。

友紀さんは体育館の職員に事情を説明し、椅子に座って記者を待ちました。この出来事は、体育館の職員を含む複数の人によって目撃されました。

しかし、この目撃情報を最後に、友紀さんの行方は分からなくなりました。

「小瀬スポーツ公園」の体育館は、イベントのない日にはまったく人のいない、寂しい場所と言われています。友紀さんを現場まで送ったタクシー運転手は後に、「彼女は『会社を代表して行きます』と張り切っていました。でも、なぜあんな寂しい場所に行くのか、不思議でした」と語りました。
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内田友紀さんの誘拐事件発生!

翌日、8月11日の午前8時15分に友紀さんが帰宅しなかったことから、父親は心配して友紀さんが勤務していた里山支店に問い合わせました。

そのわずか5分後、里山支店に友紀さんの身代金を要求する電話がかかってきたため、これが「誘拐事件」であることが判明しました。

支店側はすぐに山梨県警察に通報し、県警察は友紀さんの安全を確保するために報道協定を敷いたのです。

報道協定は、犯罪の被害者やその家族、または事件の解決に協力する法執行機関が、報道によって生命や安全が危険にさらされる可能性がある場合に、メディアが報道内容を制限することに合意するもの。
1960年「吉展ちゃん誘拐殺人事件」において、制限のない報道に追い詰められた犯人が、被害者の7歳男児を殺害したことがきっかけで協定が結ばれるようになった。

犯人は現金4500万円の身代金を要求し、午後1時35分と午後3時6分に受け渡し場所と時間を指定してきました。午後4時2分、大里支店の支店長は指定された喫茶店「珈琲待夢」で4500万円の現金を持って待機しました。

しかし、午後4時14分に犯人からの電話で、「珈琲待夢」から約4.5km離れた「カーオアシス甲府南」というガソリンスタンドで待つよう指示されました。

「カーオアシス甲府南」に到着すると、今度は午後4時59分に電話があり、「5分以内に(約3.2km先の)中央自動車道の104キロポスト(上り線標識)の位置に現金を投げ捨てるように」との指示がありました。犯人はさらに、「身代金を受け取ったら、友紀さんを釈迦堂遺跡の駐車場で解放する」と伝えました。

指定場所が何度も変更されたため、山梨県警は大いに混乱しました。結局、捜査員35人の配置に時間がかかり、104キロポストに到着するのは約50分遅れの午後5時54分でした。

支店長はそっと身代金入りの鞄を置いてその場を離れましたが、「104キロポスト」と「釈迦堂遺跡の駐車場」のいずれにも犯人は姿を現しませんでした。

こちらの画像が犯人から指示があった身代金の置き場です。

甲府信金OL誘拐殺害事件

これまで犯人からの電話は合計9回あり、その中で録音できたのは3回だけでした。

犯人は会話が長引くと、話の途中でも電話を切ってしまい、全ての通話で逆探知に失敗していました(逆探知には80秒以上の通話が必要でした)。そのため、犯人の居場所を特定することはできませんでした。

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内田友紀さんの遺体発見

犯人からの連絡が途絶え、数日が経過しました。

しかし、誘拐されてから1週間後の8月17日、甲府市から南に50km離れた静岡県富士宮市で、首に粘着テープが巻かれ、キャミソールの下着1枚の女性の遺体が発見されました

遺体は静岡県富士宮市の富士川の誰でも見える付近に浮いているのが発見され実際は上流付近でそこから投げた可能性が高いと判断されています。

警察が遺体を調査した結果、友紀さんの指紋と一致することが判明し、事件は最悪の結末を迎えることとなりました。

 

犯人音声の公開

山梨県警は、静岡県警と共同で捜査本部を設立し、遺体の発見に関する合同捜査を開始しました。最初は、犯人像を特定するために “男性3人組が関与している” または “女性が共犯者として関与している可能性がある” といった異なる説が浮上し、捜査が難航しました。

 

被害者の死亡が確認されたことで、報道協定は8月17日午後6時41分に解除され、すぐに事件に関する報道が始まりました。この後、捜査本部には1日あたり700件もの情報が寄せられましたが、有力な手がかりは見つかりませんでした。

警察は、報道機関からの要望も考慮しつつ、8月20日に犯人の電話音声を公開する決断をしました。

この背景から、報道機関は山梨県の上野原市にある「日本音響研究所」に協力を求めました。研究所の鈴木松美さんは、逆探知装置に記録されていた声を元に声紋鑑定を行い、次の鑑定結果を発表しました。

鈴木松美氏/甲府信金OL誘拐殺害事件

身長170cm前後:声の周波数は身長が高いほど低くなる傾向があることが指摘。
年齢40~55歳:声帯の筋肉が加齢とともに劣化することから、おおよその年齢が推定できる。
在住地は甲府盆地:甲州弁(国中弁)を頻繁に使用していることから、甲府盆地に居住している可能性が高いとされた。
高額商品の営業職:身代金として “無地の帯封” を要求している。これは大金を取り扱う職業の特徴であり、会話の調子から「人と接する職業」の可能性が高い。

 

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電話をかけた場所が判明!

鈴木さんは身代金要求の電話が「中央自動車道の境川パーキングエリアの公衆電話」から発信されたことを特定しました。

当時、NTT電話網の「甲府MA・0552局内」で使用されていた「クロスバ交換機」と呼ばれる有接点の機器は、電話を切った直後に接点を開放する際、パルスノイズが発生する傾向がありました。

このノイズのパターンに注目し、鈴木さんは異なる距離と台数を経由する交換機間でノイズパターンが異なることに気付きました。

鈴木氏は、甲府MA管内の公衆電話を網羅的に調べ、(録音された)犯人の電話が切断された際と同じパルスノイズを特定しました。

 

その特定された場所は、中央自動車道の境川パーキングエリアにある公衆電話でした。この場所は、犯人が身代金を投下するよう指示した104キロポストの近くに位置していました。

 

公開音声にて犯人特定

公開された犯人の音声は、もちろんテレビで何度も繰り返し放送されました。そして、この声に「どこかで聞いたことがある」と感じた一人の男性がいました。それは建材会社社長の近藤さんで、知り合いの宮川豊氏(当時38歳)の声であることに疑いの余地がありませんでした。

近藤義長さん/甲府信金OL誘拐殺人事件

宮川は「山梨いすぞ自動車」で大型トラックの営業マンをしており、近藤さんとは仕事を含めて家族ぐるみの付き合いがあったのです。

近藤さんは宮川氏を呼び出し、「おまえがやったのか?」と尋ねました。最初は宮川は否定しましたが、やがて「殺すつもりじゃなかった」と犯行を告白しました。

近藤さんは宮川に自首を強く勧め、深夜ではありましたが知り合いの警察幹部に相談しました。そして、8月24日の午前5時頃、宮川は近藤さんに同行されて警察に出頭しました。

こうして宮川は逮捕されましたが、彼のプロファイルは驚くほど声紋分析で特定された犯人像と一致していました。身長、住所、職業、年齢など、すべてが鈴木氏の分析通りで、誤差の範囲内で一致していたのです。

特徴 鑑定結果 犯人プロファイル
身長 170cm前後 172cm
年齢 40~55歳 38歳
在住地 甲府盆地在住 甲府盆地出身・在住
職業 高額商品の営業 大型トラックの営業
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犯人【宮川豊】の逮捕

その後の尋問で、犯行の動機が明らかになりました。宮川は大型トラックの販売実績を向上させるため、虚偽の販売契約などを繰り返し行い、7000万円もの借金を抱えていたのです。

会社からはその未収金の処理を繰り返し求められ、絶望的な状況に立たされた末の犯行だったのです。

身代金の受け渡しで失敗した理由が明らかになりました。宮川は電話で「104キロポスト」と伝えたつもりでしたが、実際には「105キロポスト」と指示していたことが判明しました。

山梨県警は現場に遅れて到着しましたが、間に合ったところで受け渡しはできなかったことがわかります。実際に、宮川は別の場所で待機していたのです。

また、身代金を中央自動車道の104キロポストに投下するよう指示したのは、映画「天国と地獄」の手法を参考にしたものでした。

 

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映画「天国と地獄」は、日本の名匠である黒澤明監督が手がけた、誘拐事件をテーマにした作品です。この映画には、列車の窓から身代金を投下する場面が含まれています。映画は大ヒットしましたが、公開後、「吉展ちゃん誘拐殺人事件」などの誘拐事件が相次ぎました。

これらの事件は国会でも議論の対象となり、最終的に1964年の刑法の一部改正につながるきっかけとなりました。この改正では、「身代金目的の略取(無期または3年以上の懲役)」の罪が追加されました。

そして、友紀さんが命を奪われたのは、身代金受け渡しの失敗とは無関係であることが明らかになりました。

なぜなら、友紀さんは誘拐された当日に殺害されており、仮に受け渡しが成功していたとしても、彼女を救出することは不可能でした。

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裁判では無期懲役の判決

宮川豊被告は自ら警察に出頭し、甲府地裁で行われた第一審の公判でも犯行を全面的に認めました。そのため、裁判の焦点は「自首の効力」に絞られました。

この点について、弁護側と検察側は激しく対立しました。弁護側は「自首は有効である」と主張しましたが、対照的に検察側は「宮川被告が出頭した時点で既に容疑者として扱われ、自首は無効である」と反論し、死刑を求刑しました。

1995年3月9日の判決公判で、甲府地裁は「自首は有効である」と判断しました。しかし、犯罪の残忍さなどを考慮し、非常に重い罪に対して無期懲役刑を宣告しました。この判決に対して、死刑を求める検察側と有期懲役刑を求める弁護側は、それぞれ不服として東京高裁に控訴しました。

1996年4月16日、東京高裁は両者の控訴を却下し、一審の無期懲役判決を支持しました。裁判長は、弁護側に対しては「犯罪の凶悪性が非常に高く、死刑を求める検察側の主張も十分に理解できる」と述べ、検察側の主張に対しては「最近では、1人の命を奪った事件に対する死刑の適用がやや控えめになっている傾向がある」と指摘しましたが、それにもかかわらず検察側の主張を退けました。

その後、検察側と弁護側の双方が最高裁に上告しなかったため、1996年5月1日に宮川被告の無期懲役判決が確定しました。現在、宮川被告は千葉刑務所で服役中です。

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犯人の生い立ち(経歴)

宮川豊氏は1955年に山梨県甲府市で生まれました。彼の両親は農家を営んでおり、宮川は長男として育ちました。

1970年4月、宮川氏は山梨県立農林高校に入学しました。1973年3月に高校を卒業し、その後、地元の甲府市内のガソリンスタンドで働き始めました。その後、1982年に自動車販売会社である「山梨いすゞ」に転職しました。宮川は看護師の女性と結婚し、2人の子供をもうけました。

彼は会社で大型車販売の係長として勤務していました。

宮川氏の実家は代々続く農家であり、宮川氏も農作業を積極的に手伝っていました。彼は地域活動にも積極的に参加し、近所の子供たちとソフトボールを楽しむなど、地元では「宮川のおっちゃん」と親しまれていました。

しかし、宮川氏の営業成績を上げるために架空の販売契約を繰り返していた裏で、彼は深刻な借金問題に直面していました。彼の未払いの借金は7000万円に達し、会社からはその未払い金の処理を求められていました。宮川氏は母親から870万円、友人である近藤さんからも1000万円以上を借りていましたが、それでも返済が追いつかない状況でした。

お金が必要な背後には、もう一つの理由も存在しました。事件の2年前、つまり1991年から、宮川氏は地元の韓国バーのホステスと不倫関係にあり、このホステスのために甲府市内に一戸建てを借りていました。愛人が韓国に帰国する際には、頻繁に韓国に渡って豪遊し、浪費していたのです。

宮川は多額の借金に追い詰められ、犯罪行為に手を染める決断を下しました。

偶然手にした地元の雑誌「ザ・やまなし」の記事で「活躍する女性を特集する」という内容を見て、身代金誘拐のアイデアが浮かびました。宮川は事前に甲府信用金庫の大里支店を訪れ、目標として内田友紀さん(当時19歳)を選びました。

1993年8月10日に友紀さんを誘拐し、その日の内に彼女を殺害しました。翌日(8月21日)、自身の声が公開されると、友人から100万円を借りて韓国に逃亡しましたが、逃亡生活が難しいことを悟り、帰国しました。

友人の説得もあり、自首する決断をし、裁判にかけられました。そして、1996年5月1日に宮川の無期懲役刑が確定しました。現在、彼は千葉刑務所で服役中です。

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まとめ

本記事では『【顔画像】山梨信用金庫19歳女性誘拐殺人事件の全貌、被害者や犯人の正体、生い立ち、現在は?(内田友紀、宮川豊、世界の何だコレ!?ミステリー)』と題して

①被害者や犯人の正体
②山梨信用金庫19歳女性誘拐殺人事件の全貌
③犯人の生い立ち

についてお伝えしました。

被害者である内田友紀さんのご冥福をお祈りいたします。

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