【変ホ長調(お笑い芸人)】とは?
アラフィフになった変ホ長調の2人は、まさに絵に描いたような関西のおばちゃんコンビと言えます。
変ホ長調のメンバーは、会社員として働きながら芸人としても活動しており、かつては同じ会社で先輩と後輩の関係にありました。両者は劇団にも所属し、舞台女優としての活動も行っていました。
特に彼方さんは山中伊知郎さんの放送作家セミナーに通っていた経験があります。それにも関わらず、ネタの執筆が専門であったはずが、実演者として漫才を始めたのは興味深い点です。
2005年7月に結成されたアマチュア漫才コンビは、M-1グランプリへの挑戦を目指して誕生しました。コンビ名は、小田が合唱、彼方が電子オルガン演奏と、音楽の趣味に由来しています。ユニークなスローテンポでの棒読みスタイルを持ち、一般女性の雑談を彷彿とさせるような漫才を展開しています。彼らはしばしば芸能人の名前など固有名詞を使って皮肉を込めることが特徴です。
2006年には、芸能事務所に所属していないアマチュアとして初めてM-1グランプリの決勝進出を果たし、9組中8位に入賞。この快挙はアマチュアコンビの決勝進出として大きな話題となり、翌年以降のアマチュアのエントリー増加に寄与しました。続けてM-1グランプリへの出場を続け、2007年は歴代ファイナリストの翌年成績としては最も低い3回戦敗退に終わりました。
2008年からはキングオブコントにも参加し、第1回大会では3人目のメンバー石田千香子を加えた「変記号」として、2009年の第二回大会ではさらにクマシロを加えた「変音記号」として出場しています。また、M-1グランプリの出場資格を失った2021年には女芸人No.1決定戦 THE Wに出場し、準決勝進出を果たしました。
さらに、2022年10月19日に放送された『アマチュアたちのM-1グランプリ』(ABCラジオ)では、結成秘話や大会出場のきっかけがドラマ化され、注目を集めました。
変ホ長調が過去に参加したコンテストまとめ
M-1への初参加の動機は「ストレス発散」
小田さんによれば、M-1への初参加の動機は「ストレス発散」だったとのことです。しかしその経験から実際にステージに立ってみると、非常に楽しく、はまってしまったそうです。
一方、彼方さんは子どもの頃から学校の休み時間などに友達と漫才をよく行っていたとのこと。その環境で育ったため、普段の生活の中での会話が自然にツッコミになってしまっていたと言われています。
【変ホ長調(お笑い芸人)】メンバー|小田 ひとみ(おだ ひとみ)
【変ホ長調(お笑い芸人)】|小田 ひとみのプロフィール
— オダヒトミ (@oda_henho) December 29, 2021
小田ひとみ(本名同じ、1965年2月24日生まれ)は、京都府出身のツッコミ担当のお笑い芸人で、立ち位置は向かって右。かつては劇団そとばこまちに所属していた女優でもあります。
彼女は芸名「O・D・A」でR-1ぐらんぷりに2005年、2006年、2008年と3回出場し、いずれも準決勝に進出しました。
【変ホ長調(お笑い芸人)】|小田 ひとみの経歴
2008年には、ダイナマイト関西7月27日baseよしもと予選にも参加。順調に決勝まで進むも、最終的に漫画家の和田ラヂヲに敗れ、準優勝となりました。この敗北により、決勝大会進出は叶わなかった。
彼女の芸歴には劇団経験やお笑い大会での活躍が見られ、特にR-1ぐらんぷりでの複数回の準決勝進出は注目に値する。
【変ホ長調(お笑い芸人)】|小田 ひとみのSNS
【変ホ長調(お笑い芸人)】メンバー|彼方 さとみ(かなた さとみ)
【変ホ長調(お笑い芸人)】|彼方 さとみのプロフィール
文春砲でーす❤️https://t.co/z13JCXTOVD
— カナタサトミ (@kana_henho) December 29, 2021
彼方さとみ(本名:金田聡美、1970年4月1日生まれ)は、大阪府出身のお笑い芸人で、ボケ担当。立ち位置は向かって左。
【変ホ長調(お笑い芸人)】|彼方 さとみの経歴
彼女はかつて山中伊知郎の放送作家セミナーに参加していました。
また、大阪で人気のあった劇団である立身出世劇場(2004年に解散)の元所属女優でもありました。この劇団には、井之上チャル、山本禎顕、小柳こずえなどが同様に所属していました。
【変ホ長調(お笑い芸人)】|彼方 さとみのSNS
【変ホ長調(お笑い芸人)】|お笑いコント動画
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